六本木・赤坂にある赤坂氷川神社にお参りに行ってきました。
すでに1千年以上の歴史があって「厄除け」「恋愛成就」「縁結び」などのパワースポットで人気です。
大都会の中にひっそりと佇む場所で、入った瞬間に空気が変わる感じがして不思議な力が働いている場所でした。
徳川吉宗が建てた神社で、境内には、江戸時代からある鳥居・狛犬・灯籠がそのまま残っています。
江戸中期の享保元年(1716年)、紀州徳川家の吉宗公が8代将軍職を継ぐにあたり、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから、氷川明神への幕府の尊信は高まりました。 同14年(1729年)、吉宗公は老中水野忠之を総責任者に命じて現在地に社殿を造営しました。翌15年(1730年)4月26日に一ツ木村から現在地への遷座が行われ、28日には吉宗公直々のご参拝がありました。 以後14代将軍家茂公までの歴代将軍の朱印状が下付され、「厄除」「縁結び」の鎮守神としてより一層ご神徳を高められました。
引用:赤坂氷川神社について | 赤坂氷川神社
赤坂氷川神社のアクセス
住所は「東京都港区赤坂6-10-12」です。
六本木通り沿いにあるアメリカ大使館宿舎の裏側にあって周辺の警備も厳重でした。境内には9台の駐車スペースがあるので車でもいけます。
結婚式をやっているときや御朱印をいただく人が沢山きている時は混雑していることもありますね。
場所は住宅街の中にあり、赤坂氷川神社の周辺には、アメリカ大使館などの重要施設があって警察の警備が非常に厳重です。特に車で行く場合は、バリケードなどもあるためたどり着くのに迷うことがあります。行く前に赤坂氷川神社の場所をよく調べておきましょう。
私は電車で六本木駅方面からいきましたが、銀座線や日比谷線など5路線あるので行くのは便利です。
千代田線 赤坂駅(6番出口)
日比谷線 六本木駅(7番出口)
大江戸線 六本木駅(7番出口)
南北線 六本木一丁目駅(1番出口)
銀座線 溜池山王駅 (12番出口)
赤坂氷川神社の銀杏の木
神社の入り口前には、港区の天然記念物になっている大銀杏(おおいちょう)がありました。
樹齢450年で、御社殿ができる前からあり、江戸時代の初期から生えていたようですね。
東京大空襲で焼失して焦げている部分がありますが、それでも毎年11月には色鮮やかな銀杏の葉に包まれるので生命力を感じさせる神秘的な木です。
赤坂氷川神社の御社殿
大銀杏を横手に進むと、赤坂氷川神社の御社殿があります。
人智の及ばない大いなる力で守られている場所で、建立されてから「安政の大地震」「関東大震災」「東京大空襲」などの災いから逃れてきた貴重な建造物です。
大銀杏と同様にかなり強いパワースポットですね。
赤坂氷川神社のご利益
古くから「縁結び」のご利益があります。
恋愛成就や復縁を願う人は、縁結びのお守りを必ずいただいていきましょう。2種類の縁結びのお守りがあります。
縁結守
青海波に千鳥を組み合わせた「波に千鳥」文様のお守です。広がる波の文様には末永く続く幸せを、波間に飛び交う2匹の千鳥文様には、「波(困難)を共に力を合わせて乗り越えてゆく」素敵な方との出会いを祈願しております。
引用:お神札 お守 | 赤坂氷川神社
縁結守
御祭神の御神徳により結ばれる縁は、男女の仲だけでなく「友人、家族、仕事、子宝、学業」などを豊かな人生へと導いてくれる縁の意味もあります。
七宝文様のお守です。七宝とは、金、銀、水晶をはじめとする7つの宝のことで、 円形が連鎖し繋がる七宝文様は、「ご縁」・「円満」・「調和」を意味します。 また、人のご縁や繋がりは、七宝と同等の価値がある事を表す大変おめでたい柄です
引用:お神札 お守 | 赤坂氷川神社
「縁」とは人と人との出会い、繋がりのことです。古来より縁は神様のお取り計らいとされ、「縁結び」として尊ばれてきました。当社には縁結びを司る素盞嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命の3柱の神様をお祀りしております。
引用:縁結び | 赤坂氷川神社
縁結び参り(予約制)
予約制ですが縁結び参りも行っています。こちらは定員が決まっていて、早めに定員に達してしまうので申し込みたい人は1日に待機して予約しましょう。
神事後に、御神前にお供えした授与品「縁結守・四合御櫛」をいただけます。
斎行日・受付日 | 斎行日は、毎月ホームページで公開 予約受付日は、毎月1日の9時~ |
定員 | 30 名 |
ご祈祷料 | 3,000 円より |
縁結守
引用:縁結び | 赤坂氷川神社
当社では境内神域にて藍染の藍を育てております。その「藍(=愛)の種」を巫女が御守袋に一体ずつ詰め特別に奉製をした縁結のお守です。神事中に御神前にお供えをし、お清めをした上で皆様にお頒けいたします。
四合御櫛
日本神話『古事記』には、怪物 八岐大蛇(やまたのおろち)の生贄となる奇稲田姫命を素盞嗚尊が櫛に変え、髪に挿して戦いに臨み見事退治をされた記述があります。この御祭神の神話にちなんだ「女性の分身」といわれる櫛です。境内にある勝海舟命名の四合稲荷からお名前をいただいております。
赤坂氷川神社のお守り
鳥居をくぐって社殿でお参りをして、右側にある事務局でお守りを見ました
赤坂氷川神社の開運厄除けお守り、干支の虎のおみくじ、やかん鈴が可愛かったのでいただきました。
やかん鈴は「幸福を沸かす、幸福を注ぐ」という由来のあるやかん型の鈴になっています。
「幸福は自らの努力でつくり、他人に分け与えるべき」との教えを表しています。
狛犬
境内には、いろいろな狛犬が鎮座していました。延宝3年(1675)6月建立の銘があります。
都内の神社に現存する狛犬の中では、2番目に番古い狛犬です。(都内最古は目黒不動尊の承応3年〈1654〉銘)
現在地に移転される前に奉納されたものと思われる。左右とも頭頂部に窪みがあり、角や宝珠があった痕跡と言われている。大きさは向かって左が51センチ、右が49センチで、前後の長さはともに65センチ、正面の幅は36センチ。
引用:狛犬 – 東京都神社庁
御朱印
御朱印の初穂料は500円です。
11月23日新嘗祭などには、御朱印に100人以上の行列ができることもあります。
多種多様な御朱印を領布していて「夜桜、祭り、イチョウ、千鳥」など、その季節やイベントに関連した御朱印をいただけます。
千鳥は初詣にちなんだ御朱印でした。
「千鳥とは、水辺に棲(す)み群れで飛ぶ小鳥の総称のことで、『千取り』に通じることから豊かさ・幸福・勝利の象徴とされている。青海波(せいがいは)文様と組み合わさると、『荒波(困難)を共に力を合わせて乗り越えてゆく』という意味を持ち、家内安全を表す文様として古くから親しまれてきた」
引用:赤坂氷川神社が「初詣」の御朱印 「波に千鳥」をモチーフに – 赤坂経済新聞
御朱印の情報は赤坂氷川神社のFacebookで定期的に掲載しているのでご参考に。
四合稲荷
境内の高台を階段で降りていくと四合稲荷神社があります。
明治30年に、古呂故稲荷、地頭稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷の4社が合祀されています。
ちなみに、四合稲荷の名前は、幕末の志士「勝海舟」が「四社を合妃・しあわせ、志を合わせる」をかけて、名付けています。
四合稲荷の御朱印もあって、勝海舟翁が揮毫(きごう:毛筆で字や絵をかくこと)された扁額(へんがく:室内や門戸にかかげる横に長い額)の文字を使用しているとのことです。
勝海舟の自宅跡
ここから徒歩で5分ぐらいの場所に勝海舟の邸宅跡もあります。何度か赤坂に住んでいたそうです。
現在は、ソフトタウンというマンションになっていて、BARや居酒屋が入っていました。
さらにここから反対側に10分ほど歩くと、勝海舟と坂本龍馬の銅像もあります。
勝海舟が暗殺に来た坂本龍馬を諭して師弟関係になったということで師弟像ですね。
勝海舟は、破天荒で「ちょっと品川まで行ってくる」と妻に言い残してサンフランシスコまで行ってしまうぐらいの豪胆ぶりな性格でしたが、数々の名言を残しています。
勝海舟の名言一部
・行いは己のもの。批判は他人のもの。知ったことではない
・事を成し遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない。
・自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。
・世の中に無神経ほど強いものはない。
・急いでも仕方がない。寝ころんで待つのが第一だと思っています。
隠居してからは、赤坂氷川で余生を過ごしました。77歳のときにブランデーを飲んでトイレに行った際、脳溢血で倒れてしまったそうで、最後の言葉が「コレデオシマイ」という、最後にしてはなんとも可愛らしい言葉です。
晩年はほとんどの時期を赤坂氷川の地で過ごし、回想録「氷川清話」(ひかわせいわ)や「吹塵録」(すいじんろく)、「海軍歴史」、「陸軍歴史」、「開国起源」などを記しました。 。
引用:【刀剣ワールド】坂本龍馬
赤坂氷川神社の祭典
1月1日 | 歳旦祭(皇室の弥栄、国家の安寧、五穀豊穣を祈願) |
2月3日 | 節分祭(災厄祓を祈願) |
2月17日 | 祈年祭(秋の豊作を願う豊穣祈願) |
4月15日 | 四合稲荷 例祭(商売繁昌を祈願) |
6月30日 | 夏越の大祓式(残り半年間の無病息災を祈願) |
9月15日 | 例祭(御神徳の発揚ならびに皇室の弥栄、国家の安寧、氏子崇敬者の隆昌を祈願) |
10月上旬 | 包丁塚祭(料理人の安全と商売繁昌を祈願) |
11月23日 | 新嘗祭(御祭神に五穀豊穣の感謝) |
12月31日 | 年越の大祓式(半年間に積もった罪穢れを祓い清め、清々しい気持ちで新年を迎えられるよう祈願) |